反吐が出る。

2004年8月4日
鬱は、少し治まったようだ。
代わりに、焦燥感が襲う。
この焦りはなんだ。
今日は、親から隠し持っていた薬を2回分飲んだが、効かない。
イライラする。

ミツと会う約束をしたが、今は会いたくない。
『素直な女』を演じるのが疲れる。

…これも鬱の一種か。
どうでもいい。

今週末、ミツが友達とミツの両親とで、キャンプに行こうと言っている。
私は、親のせいにして断った。
なぜならミツの両親と顔を合わせたくないし、ミツの友達も嫌いだからだ。
ミツの両親は、私がリストカットをしていても、見てみぬフリをしていた。
それは、その時期の私にとっては好都合だったのだけれど。
今思い返せば、オカシイ事に気付いた。
ミツの友達は、ミツに誘われるがまま、ミツの浮気相手とその友達(女)と会っている。
私の前では、私が事実と知らないと思って、いい顔しているのが腹が立つ。
ミツの浮気が、彼等のせいではないけれど、一人くらい女の私の気持ちを解ってくれてもいいんじゃないか。
だから奴等にも会いたくない。
『キライ』
それだけの理由。

人は信じない。
それが、今の私のモットーとなった。
そういう生き方の方が気楽だ。
私を哀れむ人もいなければ、同情する人もいない。
好いてはくれても、愛してはくれない。
一緒にいてくれても、傍にはいない。
心は開いても、心を受け取らない。

でも、ときどき考える。
人は孤独には耐えられない。
人は確かに愛を求めている。
人は人を恨みながらも、許して受け入れる事もある。
人はいつも相手の心を捜し求めている。

そして私は、この25年間を振り返る。
両親ではなく、母親には愛されていると思っていた。
それは違った。
身体だけ大人になって、いくつもの恋愛をしながら、受け入れる愛情も、突き放す愛情も、生の駆け引きも…教わった。

私にかけているモノは。。。
誰にでもある欠陥。
それを許せない。
私は求め過ぎる。
それは依存だった。
偽装された愛情だった。
『依存』と『愛情』の違いを教えてくれたのは、ミツなのかな。

私は、誰も愛した事がない。
だから私の辞書には、愛なんて言葉はない。
私に最後に残されたモノは、天から授かった子供だけ。
それなのに、子供の愛し方さえわからない。

本当は…
私は、本当の愛情に飢えているんだろう。
だが、こんな私を誰が本気で愛してくれるだろうか。
もし愛されたとしても、私はその愛に気付かないだろう。

愛だなんて。
キモチワルイ。

それを皆、手探りで捜し続けているのでしょうか。

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