リストカット・記憶・自我
2004年10月18日昨夜、また救急で病院に運ばれた。
今度は無数のリストカット。
無数の傷跡から選ばれ縫われたのは、4箇所。
そんな事はもうどうでもいい。
ここ最近の記憶は曖昧で、夢と現実の区別もつかない。
毎日、意識が朦朧としている中、私は何を考え何をして過ごしているのか疑問だ。
あやふやに時は流れ、いつの間にか年月は過ぎ、身体の傷跡は増えていくばかりで、記憶の中の思い出は後に残らない。
そして誰が『私』なのかわからない。
不思議だ。
分裂し一つになり…それを繰り返す。
『私』ハメるのも自己であり、『私』を温めるのも自己であり。
そうして自我はどんどん失われつつあるのか。
先日の、彼のシークレットデータの件で、そのデータは『私』が打ち込んだモノだと判明した。
私は頭を抱えた。
記憶にはないが、やはり『私』の仕業だった。
病気は確実に進行している。
それに気付くのは遅過ぎた。
今度は無数のリストカット。
無数の傷跡から選ばれ縫われたのは、4箇所。
そんな事はもうどうでもいい。
ここ最近の記憶は曖昧で、夢と現実の区別もつかない。
毎日、意識が朦朧としている中、私は何を考え何をして過ごしているのか疑問だ。
あやふやに時は流れ、いつの間にか年月は過ぎ、身体の傷跡は増えていくばかりで、記憶の中の思い出は後に残らない。
そして誰が『私』なのかわからない。
不思議だ。
分裂し一つになり…それを繰り返す。
『私』ハメるのも自己であり、『私』を温めるのも自己であり。
そうして自我はどんどん失われつつあるのか。
先日の、彼のシークレットデータの件で、そのデータは『私』が打ち込んだモノだと判明した。
私は頭を抱えた。
記憶にはないが、やはり『私』の仕業だった。
病気は確実に進行している。
それに気付くのは遅過ぎた。
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