私と母校と朝鮮の関係。
2005年2月11日今日は体調が悪いみたいだ。
息が苦しい。
過呼吸の前兆のようだ。
仕方なく薬を飲んだ。
最近の私はやけに小説を読む。
それは現実逃避なんじゃないのか。
読書をしている間は、現実の事態を考えずに済む。
これが結構楽しかったりするもんなんだ。
真剣に本を読む姿は、小学生の頃の『クラスの秀才』っぽくも思えるんだから可笑しい。
だが近頃、私の中は騒がしくてたまらない。
何人もの人生に飽きた主婦等が、もう古くなった集合住宅マンションの前で集って、馬鹿な噂話をしているような感じだ。
私が読書をやめた瞬間、それは始まる。
こうして日記を書き込んでいる間もだ。
自分の思考だけを拾うのに、少し苦労する。
無能で世間知らずな私は、小説から学ぶ事が多々ある。
でも私が興味ない事はすぐに忘れてしまう。
覚えているのは、医学的な事やちょっとした生物学的な事。
それらを学んだからといって、自分を分析するのは難しい。
いや、無理だ。
でもただ、ほんの少しだけ自分に対しての興味が深まる。
それって無気力から脱出できたって事だ。
『数学』を私は好きだった。
私は学生の頃、授業への態度も学科の成績もあまり良いとは言えない生徒だったが、数学だけは学年トップだった。
ハッキリいうと、学校の風習とか、教師の教えとか、成績優秀だった生徒とかが大嫌いで、勉強もろくにしないし部活も特に頑張らないし、目立つ不良でもなく、成績は悪いし、多少の虐めはあったけど、とにかく親が決めた学校で、『学校は行かなきゃいけない』という考えがあったから通っていただけの器械みたいだった。
ところが中学2年(だったかな…)に上がると、以前兄の担任の教師だった奴が、私のクラスの数学を担当する事になったわけだ。
私は、以前から数学だけは嫌いではなかった事と、兄に恥をかかせたくないという、この二つの理由で少しだけやる気を出してみた。
そしたら、どんな秀才な生徒達をも蹴飛ばしてダントツのトップになれたわけだ。
自分自身、驚いた。
もちろん数学の担当教師も喜んでくれた。
それで私は、数学がもっと好きになったんだ。
学校に行くのも少し楽しく思えた。
ところが高校に上がって、担当の数学教師が変わってしまった。
だから私は数学を学ぶ事をやめた。
授業中はずっと寝ていた。
女子で寝ているのは、私しかいない。
その新しい担当教師は、私を叱らなかった。
休み時間、たまたまその新しい数学教師に会ってしまった。
彼はこう言った。
「海月はいつも寝てるなぁ」ってね。
そして通り過ぎて行った。
私は、50歳はとっくに過ぎているだろうその教師の背中を見ながら、少し罪悪感を感じた事を覚えている。
だって彼がその言葉を発した時、少し悲しそうに見えたんだ。
私は、それから登校拒否を始めた。
きっかけはわからない。忘れた。
私は、日本で生まれて日本で育って日本人の母に育てられ、ただ父親が朝鮮人で朝鮮学校に通わされ、チョゴリという制服を着て通学するのが嫌だった。怖かった。
私の何が悪いのか。
どうして私が怨まれるのか。
どうして嫌われるのか。
どうして朝鮮の事を学ばなきゃいけないのか。
どうしてキムイルソンやキムジョンイルの嘘で固めた歴史を学んでいるのか。
どうして日本学校の生徒と朝鮮学校の生徒が喧嘩をするのか。
どうしてどうしてどうして…
私は、まだ登校拒否生徒だった頃、それを両親と学校のせいにしていた。
今でもたまに嫌になる。
それは履歴書を書く時だ。
嘘の学歴を書く。
―――――――――――――――――――――――――――――
学歴
○○市立 ○○中学校 卒業
○○市立 ○○高等学校 中退
―――――――――――――――――――――――――――――
これって学歴詐称なのだろう。
立派な犯罪なのだろう。
金日成は、もう亡くなった。
私が小学生の頃だ。
担任の女教師と少数の生徒は泣いていた。
小学生の私は、これから何かが変わるんじゃないかと、少し胸をときめかせていた。
今となっては、結局何も変わらないどころか、ますます悪化していっている。
あの馬鹿息子のせいで。
私がもしも、その馬鹿息子に会えたしたら、間違いなく彼を射殺する。
その後、私も射殺されるだろうけど構わない。
しかし私みたいな一庶民が会える筈もないのが現実だ。
考えように寄っては、彼を哀れにも思う。
私だって金日成の息子として生まれたら、彼のようになっていただろう。
こんな事、母国で書いたら間違いなく即座に殺されるね。
息が苦しい。
過呼吸の前兆のようだ。
仕方なく薬を飲んだ。
最近の私はやけに小説を読む。
それは現実逃避なんじゃないのか。
読書をしている間は、現実の事態を考えずに済む。
これが結構楽しかったりするもんなんだ。
真剣に本を読む姿は、小学生の頃の『クラスの秀才』っぽくも思えるんだから可笑しい。
だが近頃、私の中は騒がしくてたまらない。
何人もの人生に飽きた主婦等が、もう古くなった集合住宅マンションの前で集って、馬鹿な噂話をしているような感じだ。
私が読書をやめた瞬間、それは始まる。
こうして日記を書き込んでいる間もだ。
自分の思考だけを拾うのに、少し苦労する。
無能で世間知らずな私は、小説から学ぶ事が多々ある。
でも私が興味ない事はすぐに忘れてしまう。
覚えているのは、医学的な事やちょっとした生物学的な事。
それらを学んだからといって、自分を分析するのは難しい。
いや、無理だ。
でもただ、ほんの少しだけ自分に対しての興味が深まる。
それって無気力から脱出できたって事だ。
『数学』を私は好きだった。
私は学生の頃、授業への態度も学科の成績もあまり良いとは言えない生徒だったが、数学だけは学年トップだった。
ハッキリいうと、学校の風習とか、教師の教えとか、成績優秀だった生徒とかが大嫌いで、勉強もろくにしないし部活も特に頑張らないし、目立つ不良でもなく、成績は悪いし、多少の虐めはあったけど、とにかく親が決めた学校で、『学校は行かなきゃいけない』という考えがあったから通っていただけの器械みたいだった。
ところが中学2年(だったかな…)に上がると、以前兄の担任の教師だった奴が、私のクラスの数学を担当する事になったわけだ。
私は、以前から数学だけは嫌いではなかった事と、兄に恥をかかせたくないという、この二つの理由で少しだけやる気を出してみた。
そしたら、どんな秀才な生徒達をも蹴飛ばしてダントツのトップになれたわけだ。
自分自身、驚いた。
もちろん数学の担当教師も喜んでくれた。
それで私は、数学がもっと好きになったんだ。
学校に行くのも少し楽しく思えた。
ところが高校に上がって、担当の数学教師が変わってしまった。
だから私は数学を学ぶ事をやめた。
授業中はずっと寝ていた。
女子で寝ているのは、私しかいない。
その新しい担当教師は、私を叱らなかった。
休み時間、たまたまその新しい数学教師に会ってしまった。
彼はこう言った。
「海月はいつも寝てるなぁ」ってね。
そして通り過ぎて行った。
私は、50歳はとっくに過ぎているだろうその教師の背中を見ながら、少し罪悪感を感じた事を覚えている。
だって彼がその言葉を発した時、少し悲しそうに見えたんだ。
私は、それから登校拒否を始めた。
きっかけはわからない。忘れた。
私は、日本で生まれて日本で育って日本人の母に育てられ、ただ父親が朝鮮人で朝鮮学校に通わされ、チョゴリという制服を着て通学するのが嫌だった。怖かった。
私の何が悪いのか。
どうして私が怨まれるのか。
どうして嫌われるのか。
どうして朝鮮の事を学ばなきゃいけないのか。
どうしてキムイルソンやキムジョンイルの嘘で固めた歴史を学んでいるのか。
どうして日本学校の生徒と朝鮮学校の生徒が喧嘩をするのか。
どうしてどうしてどうして…
私は、まだ登校拒否生徒だった頃、それを両親と学校のせいにしていた。
今でもたまに嫌になる。
それは履歴書を書く時だ。
嘘の学歴を書く。
―――――――――――――――――――――――――――――
学歴
○○市立 ○○中学校 卒業
○○市立 ○○高等学校 中退
―――――――――――――――――――――――――――――
これって学歴詐称なのだろう。
立派な犯罪なのだろう。
金日成は、もう亡くなった。
私が小学生の頃だ。
担任の女教師と少数の生徒は泣いていた。
小学生の私は、これから何かが変わるんじゃないかと、少し胸をときめかせていた。
今となっては、結局何も変わらないどころか、ますます悪化していっている。
あの馬鹿息子のせいで。
私がもしも、その馬鹿息子に会えたしたら、間違いなく彼を射殺する。
その後、私も射殺されるだろうけど構わない。
しかし私みたいな一庶民が会える筈もないのが現実だ。
考えように寄っては、彼を哀れにも思う。
私だって金日成の息子として生まれたら、彼のようになっていただろう。
こんな事、母国で書いたら間違いなく即座に殺されるね。
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