変化の過程。
2005年10月19日派遣会社に登録に行った。
私はいつものように明るくハキハキと答えることができた。
それに適正試験にも良い成績を残すことができたみたいだ。
よって、大手企業での事務職に推薦されることができた。
実はとても緊張していた。
それに途中で投げ出してしまおうかと思ったくらいだ。
近頃、彼以外の人間との交流をできる限り避けていたので、それに比例して他人との会話がし難くなったのだろう。
前日の夜は緊張のあまり眠れなかった。
久しぶりにメル友と少しの間メール交換をしていた。
至って浅い内容のやり取りだったが、私にとっては新鮮で心地よい気分にさせてくれた。
来週はじめに、担当とその企業へ面接をしに行く。
もう既に私の胸は緊張し落ち着きがない状態だ。
極度の興奮状態で食欲もわかなくなっている。
いわゆる『ハイテンション』であって、この代償として鬱にならなければいい。
私はなぜか、はしゃぎ過ぎた次の日は決まって鬱になる。
例えば、人に会うのは憂鬱なのだが、その憂鬱さ故に人と会った時には飲みたくないアルコールを無理に飲んだりして、わざと楽しい振りをする。
すると次第に本当に楽しくなってくる。
だが、次の日は前日の反動で激しい鬱状態になってしまう。
それも何日もの間、続く。
普通の人間でも、そういった事が有り得るのかと思えば違うみたいだ。
少なくとも、彼にはないらしい。
はしゃいだ次の日も朝から元気で、まるで疲れを知らない幼児を見ているようだ。
とても羨ましく思う。
だから私は常に静かにいる事を心掛けている。
つい先日、唯一友達と呼べるであろう女性が子供を出産した。
彼女とは以前、水商売をしている時に出会った。
彼女も昔、精神状態が不安定だった事もあり、なおかつ酒好きで話が合ったし急速に仲良くなったものだ。
現在の彼女は、私と共通の知り合いである男性と結婚をし、ささやかな幸福の家庭を築き始めているのがわかる。
私は心から祝福していた。
…の筈だったが、最近の彼女からのメールは、旦那の事を『パパ』いう。
なぜか私はそれにいちいち反応してしまう。
なぜだろう。
自分でも全くの理解不能だ。
ほんの少しだけ苦しいような嫌な気持ちになるのだ。
それを考えていると、以前、私の兄と義姉に子供ができた時のことを思い出した。
義姉と頻繁にメール交換をしていた頃、やはり義姉は兄の事を『パパ』と呼ぶようになってした。
私はその部分にだけ敏感に反応した。
それはきっと、兄を取られてしまったという想いだったんだと結論付けていたが、今回の友達の例をあげると、違ったのかもしれない。
『私にはパパと呼べる旦那がいない』
『娘にはパパがいない』
という僻みと焦りなのかもしれない。
認めたくはないが、そういうことなのだろう。
私は可愛くない。
他人を羨んだり、僻んだり、憎んだり…。
素直になることに羞恥心を抱き、強がったり怒った素振りをしたり素気なく接したりもする。
相手の傷付く言葉を、わざと冗談交じりに言って見せたりもする。
後は自己嫌悪し涙を流す繰り返し。
近頃は何もしてなくても寝る間際よく枕を濡らす。
世の中に幻滅してばかりしていてはいけないような気がしてきた。
悪い事ばかりじゃないと思いたい。
まだすぐには見付けられないだろうが、優しくて綺麗なモノを見付けられる心を持とう。
今日初めて接した派遣会社の担当さんに、諭されたような気がした。
彼は物凄く頑張っていたし、彼の発した言葉で私が少し傷付いたのを察し、わざわざ謝ってくれた事がとても嬉しかった。
その他の会話の中でも、初対面の私に本音で接してくれたんだと思ったし、迷っている私に後押ししてくれたんだとも思う。
勝手な推測でしかないが、なにはともあれ私に少しの自信をくれた事に感謝している。
捨てたもんじゃないなと思った。
私はいつものように明るくハキハキと答えることができた。
それに適正試験にも良い成績を残すことができたみたいだ。
よって、大手企業での事務職に推薦されることができた。
実はとても緊張していた。
それに途中で投げ出してしまおうかと思ったくらいだ。
近頃、彼以外の人間との交流をできる限り避けていたので、それに比例して他人との会話がし難くなったのだろう。
前日の夜は緊張のあまり眠れなかった。
久しぶりにメル友と少しの間メール交換をしていた。
至って浅い内容のやり取りだったが、私にとっては新鮮で心地よい気分にさせてくれた。
来週はじめに、担当とその企業へ面接をしに行く。
もう既に私の胸は緊張し落ち着きがない状態だ。
極度の興奮状態で食欲もわかなくなっている。
いわゆる『ハイテンション』であって、この代償として鬱にならなければいい。
私はなぜか、はしゃぎ過ぎた次の日は決まって鬱になる。
例えば、人に会うのは憂鬱なのだが、その憂鬱さ故に人と会った時には飲みたくないアルコールを無理に飲んだりして、わざと楽しい振りをする。
すると次第に本当に楽しくなってくる。
だが、次の日は前日の反動で激しい鬱状態になってしまう。
それも何日もの間、続く。
普通の人間でも、そういった事が有り得るのかと思えば違うみたいだ。
少なくとも、彼にはないらしい。
はしゃいだ次の日も朝から元気で、まるで疲れを知らない幼児を見ているようだ。
とても羨ましく思う。
だから私は常に静かにいる事を心掛けている。
つい先日、唯一友達と呼べるであろう女性が子供を出産した。
彼女とは以前、水商売をしている時に出会った。
彼女も昔、精神状態が不安定だった事もあり、なおかつ酒好きで話が合ったし急速に仲良くなったものだ。
現在の彼女は、私と共通の知り合いである男性と結婚をし、ささやかな幸福の家庭を築き始めているのがわかる。
私は心から祝福していた。
…の筈だったが、最近の彼女からのメールは、旦那の事を『パパ』いう。
なぜか私はそれにいちいち反応してしまう。
なぜだろう。
自分でも全くの理解不能だ。
ほんの少しだけ苦しいような嫌な気持ちになるのだ。
それを考えていると、以前、私の兄と義姉に子供ができた時のことを思い出した。
義姉と頻繁にメール交換をしていた頃、やはり義姉は兄の事を『パパ』と呼ぶようになってした。
私はその部分にだけ敏感に反応した。
それはきっと、兄を取られてしまったという想いだったんだと結論付けていたが、今回の友達の例をあげると、違ったのかもしれない。
『私にはパパと呼べる旦那がいない』
『娘にはパパがいない』
という僻みと焦りなのかもしれない。
認めたくはないが、そういうことなのだろう。
私は可愛くない。
他人を羨んだり、僻んだり、憎んだり…。
素直になることに羞恥心を抱き、強がったり怒った素振りをしたり素気なく接したりもする。
相手の傷付く言葉を、わざと冗談交じりに言って見せたりもする。
後は自己嫌悪し涙を流す繰り返し。
近頃は何もしてなくても寝る間際よく枕を濡らす。
世の中に幻滅してばかりしていてはいけないような気がしてきた。
悪い事ばかりじゃないと思いたい。
まだすぐには見付けられないだろうが、優しくて綺麗なモノを見付けられる心を持とう。
今日初めて接した派遣会社の担当さんに、諭されたような気がした。
彼は物凄く頑張っていたし、彼の発した言葉で私が少し傷付いたのを察し、わざわざ謝ってくれた事がとても嬉しかった。
その他の会話の中でも、初対面の私に本音で接してくれたんだと思ったし、迷っている私に後押ししてくれたんだとも思う。
勝手な推測でしかないが、なにはともあれ私に少しの自信をくれた事に感謝している。
捨てたもんじゃないなと思った。
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