今日の診察。

2005年3月2日
今日は気分が落ち着いていたので病院へ行った。
院内での待ち時間は1時間前後。
H先生は、「待たせてごめんね」と言った。
こんなこと初めて言われた。

まずは、先々週の自傷行為・OD・多飲酒と病院で胃洗浄・縫合した事を話した。
そして、今は落ち着いたという事。

それから、最近読んでいる『症例A』という小説の話をして、そこに出てくる境界例の話と自分自身を比較すると、重なる事が多いので、私は境界例ではないのかとも訊いてみた。
すると先生は、「私は基本的に病名をつけないんだ」と言った。
それは、H先生は病名に囚われてその各病気の治療法をするのではなくて、全てを神経症として扱い、根本的な原因をネガティブにとらえる事をポジティブに変える事と、患者が不安時に起こす(一般的に病気だと診断される)対処法(自傷行為など)を違う自己にプラスになる対処法を見い出す事の手助けをすると言っていた。

とても気になった発言は、「アナタは似ている。」
私はなんの事だかわからなかった。
「誰だって不安になる事はあります。そういった時のアナタの対処法はマイナスな事になってしまうのです。例えば自傷行為だとかね。その対処法が病気と診断されるのです。」とH先生が言った。
なるほど。
と、同感しつつ、最初の『アナタは似ている』の意味も理解できた。
私自身も多少ではあるが、それを以前から感じていたのだ。
H先生は、極たまにご自身の生活や価値観や生育を話してくれていたからだ。
言葉で表現するのは難しい。
『何か』共通するモノがあると思っていた。

H先生の発言「海月さんがココ(診察室)にいる時は、私は99%海月さんの事しか考えていない。」
付け加え、「海月さんのご家族とお子さんと。…自分の家族の事も忘れて…」と少し苦笑しながら言った。
「次の患者さんが診察室に来れば、海月さんの事は忘れ、その患者さんの事を99%考えている。」とも言った。
私はその『海月さんの事は忘れ』の言葉に対し、「ハッキリ言わないでくださいよ。」と笑いながら冗談を言ってみせた。

私は「H先生って珍しいです。」と言った。
H先生はなんの事かわからなかったのだろう。
私に目を向けたまま、次の言葉を待った。
「私、いくもの精神病院やら心療内科やら行きましたが、H先生はスゴイです。」
急に、お世辞を言ってるかのように思われたかもしれないと思い、少し言葉が変になった。
恥ずかしくなって言葉を足した。
「H先生はいい人です。他の病院では…なんていうか、感じ悪いっていうか…」
また自分の言葉に子供っぽさと、他の病院への悪口を言っているような気がして、更に恥ずかしくなって苦笑いをした。
H先生は「それは、相性だと思いますよ。」と丁寧な口調で笑顔で言った。
なんだかホッとした。

私は去年、母が言っていた事を思い出した。
「H先生、全く関係のないお話なんですが、去年母が薬を取りに来た時に『H先生、殴られたような傷が顔にあった。患者さんに殴られたのかしら。大変ね。』と話していたんです。本当に患者さんに殴られたんですか?」と訊いた。
H先生は薄く笑みを浮かべながら、「たぶん、たまに顔に出る湿疹のせいかもしれませんね。私は一度も患者さんに殴られた事はありませんよ。そういえば研修医の時に、医者を嫌ってどの医者に対しても暴力を振るう患者さんがいて、その頃同僚だった研修医は胸座を捕まれて絡まれてたけど、その患者さん、私には何も一度もそういう事がありませんでした。なぜかというと、私はほら猫背でしょ。それでいつも下を向いて歩いていたんです。それで、その患者さん私には何か同情していたみたいです。」と話してくれた。
それには、私は声を出して笑った。

その後も会話は途切れなく、冗談を交えながら30分は話していたんだろうか、受付の人から内線電話で『時間』の催促をされ、診察室を後にした。

H先生は、私にとって尊敬する方でもあり、私の『数少ない好きな人間』の中の一人だ。
転移ではないだろう。
そう信じたい。

薬物禁断症状体感。

2005年2月28日
先週末、抜糸した。
あれから薬を飲んでいなかった。
昨夜までは。

最近、薬の禁断症状と思われる酷い眩暈に襲われていた。
何日か我慢していたが、それも昨日で無意味なモノとなった。

久しぶりに圏外へ出たせいか、夜には眩暈が酷くなっていった。
それに妄想と思われるモノ、過呼吸発作も起き始めた。
そのせいか、帰りの電車は間違えるし、見知らぬ男性等に声をかけられドキンという脳内の音と同時に脈は速くなった。
ついに耐えられず、頓服薬を口にした。

直後には効かないものの、30分後には効いていたのだろう。
彼と合流し、彼の友人も誘って遅い夕食に出かける事ができた。

今朝は、眩暈も柔らかくなり少々楽になったようだった。

一年半前、安易な考えで薬に頼った事を少し後悔している。
医者の言っていた通り、一度手を出した薬を急に止める事はできない。
それを身をもって実感した。
同時に、これから薬を止める方法についてという悩みが一つ増えた。

リスカ・OD

2005年2月21日
金曜だったかな。
リスカしたみたいだ。
9針と2針、合わせて11針縫った。
それからODもしていたらしい。
記憶は全くない。

私は彼に車で病院に運ばれたらしい。
意識もあったと彼は言う。
胃洗浄をしたが、胃の中に固形物が多く残っていた為中断して、それ以上消化吸収しない為の薬を投入したそうだ。
それから傷口を11針縫ったと、彼が言った。

私は次の日も、その次の日も意識が朦朧としていたみたいだ。
何をして過ごしたのか思い出せないでいる。

思い出したくない。
疲れた。

先生と私の間。

2005年2月16日
今日、病院に行った。
2、3週間ぶりだ。
最近調子が悪かったから行きたくなかった。
だが先生の顔を見たら安心したせいか、涙と言葉が同時に溢れ出た。

私の記憶は曖昧で、何を話していいのかわからなかったが、その事を先生に告げた。
それから最近、「友達」という顔見知りに嫌われる事が多くなった事。
こういう時期は、先生と顔を合わしたくない事。
せっかく回復に向かっているのに、また症状が悪化している事を先生に知られたら、ガッカリされてしまうんじゃないかって不安だって事も話した。

先生は穏やかに答えた。
『周りは変わらない。嫌われていないよ。』
『先生は、患者を嫌ったりしない。』
私は、その言葉にガッカリした。
先生は、私を「一患者」としか見ていないんだと。
それ以上を求めるのは、私の我が儘だと分かっていても、それを完全に否定されるのはやっぱり辛かった。

その他…そうだ、思い出した。
私は、今の意識が朦朧としている自分では何が正しいのか間違っているのか判断しかねますが、抗鬱薬をもっと強いモノにしてほしいと言った。
先生は「今、SSRIという情緒不安定を安定させる薬を出しています。これは一番強い薬だと思ってください。これ以上、意識が朦朧としてはいけないから…」こんな様な事を言っていたと思う。
それから最後に、「海月さん、頑張って。負けないで。私も頑張るから。」と言い、両手を強く握ってくれた。
私は、先生の手の感触に、何かすごく安心感の様なモノを感じた。
それと同時に、この手を欲しいとも思った。

この感じは、カウンセラーと患者との間によく起こりうる『転移』という事態なのだろうか。。。
今度は、この事を先生に訊いてみようと思う。
今日は体調が悪いみたいだ。
息が苦しい。
過呼吸の前兆のようだ。
仕方なく薬を飲んだ。

最近の私はやけに小説を読む。
それは現実逃避なんじゃないのか。
読書をしている間は、現実の事態を考えずに済む。
これが結構楽しかったりするもんなんだ。
真剣に本を読む姿は、小学生の頃の『クラスの秀才』っぽくも思えるんだから可笑しい。

だが近頃、私の中は騒がしくてたまらない。
何人もの人生に飽きた主婦等が、もう古くなった集合住宅マンションの前で集って、馬鹿な噂話をしているような感じだ。
私が読書をやめた瞬間、それは始まる。
こうして日記を書き込んでいる間もだ。
自分の思考だけを拾うのに、少し苦労する。

無能で世間知らずな私は、小説から学ぶ事が多々ある。
でも私が興味ない事はすぐに忘れてしまう。
覚えているのは、医学的な事やちょっとした生物学的な事。
それらを学んだからといって、自分を分析するのは難しい。
いや、無理だ。
でもただ、ほんの少しだけ自分に対しての興味が深まる。
それって無気力から脱出できたって事だ。

『数学』を私は好きだった。
私は学生の頃、授業への態度も学科の成績もあまり良いとは言えない生徒だったが、数学だけは学年トップだった。
ハッキリいうと、学校の風習とか、教師の教えとか、成績優秀だった生徒とかが大嫌いで、勉強もろくにしないし部活も特に頑張らないし、目立つ不良でもなく、成績は悪いし、多少の虐めはあったけど、とにかく親が決めた学校で、『学校は行かなきゃいけない』という考えがあったから通っていただけの器械みたいだった。
ところが中学2年(だったかな…)に上がると、以前兄の担任の教師だった奴が、私のクラスの数学を担当する事になったわけだ。
私は、以前から数学だけは嫌いではなかった事と、兄に恥をかかせたくないという、この二つの理由で少しだけやる気を出してみた。
そしたら、どんな秀才な生徒達をも蹴飛ばしてダントツのトップになれたわけだ。
自分自身、驚いた。
もちろん数学の担当教師も喜んでくれた。
それで私は、数学がもっと好きになったんだ。
学校に行くのも少し楽しく思えた。

ところが高校に上がって、担当の数学教師が変わってしまった。
だから私は数学を学ぶ事をやめた。
授業中はずっと寝ていた。
女子で寝ているのは、私しかいない。
その新しい担当教師は、私を叱らなかった。

休み時間、たまたまその新しい数学教師に会ってしまった。
彼はこう言った。
「海月はいつも寝てるなぁ」ってね。
そして通り過ぎて行った。
私は、50歳はとっくに過ぎているだろうその教師の背中を見ながら、少し罪悪感を感じた事を覚えている。
だって彼がその言葉を発した時、少し悲しそうに見えたんだ。

私は、それから登校拒否を始めた。
きっかけはわからない。忘れた。

私は、日本で生まれて日本で育って日本人の母に育てられ、ただ父親が朝鮮人で朝鮮学校に通わされ、チョゴリという制服を着て通学するのが嫌だった。怖かった。
私の何が悪いのか。
どうして私が怨まれるのか。
どうして嫌われるのか。
どうして朝鮮の事を学ばなきゃいけないのか。
どうしてキムイルソンやキムジョンイルの嘘で固めた歴史を学んでいるのか。
どうして日本学校の生徒と朝鮮学校の生徒が喧嘩をするのか。
どうしてどうしてどうして…

私は、まだ登校拒否生徒だった頃、それを両親と学校のせいにしていた。

今でもたまに嫌になる。
それは履歴書を書く時だ。
嘘の学歴を書く。
―――――――――――――――――――――――――――――
学歴
 ○○市立 ○○中学校 卒業
 ○○市立 ○○高等学校 中退
―――――――――――――――――――――――――――――
これって学歴詐称なのだろう。
立派な犯罪なのだろう。

金日成は、もう亡くなった。
私が小学生の頃だ。
担任の女教師と少数の生徒は泣いていた。
小学生の私は、これから何かが変わるんじゃないかと、少し胸をときめかせていた。

今となっては、結局何も変わらないどころか、ますます悪化していっている。
あの馬鹿息子のせいで。
私がもしも、その馬鹿息子に会えたしたら、間違いなく彼を射殺する。
その後、私も射殺されるだろうけど構わない。

しかし私みたいな一庶民が会える筈もないのが現実だ。
考えように寄っては、彼を哀れにも思う。
私だって金日成の息子として生まれたら、彼のようになっていただろう。

こんな事、母国で書いたら間違いなく即座に殺されるね。
◇2月8日(火) 雨のち曇り
今朝は雨だった。
少し落ち着いた気分になった。

そして今は一人だ。
今じゃなくて、朝からずっと一人だった。

ずっと、仕事を辞めた事を彼の両親に知られるのを恐れていた。
そして今日、知られていたんだという事を知った。
彼によって…。
彼は私との約束を忘れていたんだ。
『仕事を辞めた事を言わないで』と、私は何度か言っておいた事。

もう、あの彼の家には居られない。
実家に帰る勇気もない。
一人で孤独に耐える根性もない。
頭痛がしてきた。
怖くもなった。

でも、あの家には戻れない。
今夜、生まれて初めての野宿だ。
それにしては相応しくない日だった。
夕方までの雨で道路も公園のベンチも川原の芝生も濡れている。
寝るのは困難だ。
今夜、寝るつもりもないけど。

(彼は、もう寝たかな…)

とにかく今からの予定をたてなきゃ。
もう所持金も残り少ない。(400円弱)
明日の10時まで時間を潰さなきゃ。
でも無理っぽい…

少し悩む。
今ココで頼れるのは…
昔の恋人か、親か、彼か。

もう間違った事はしたくない。
昔の恋人に頼るのは簡単だけど、「オワリ」だ。
プライドは捨てられない。

彼を裏切るのも嫌だ。

とにかく今夜10時までは、一人。
『一人=自立』じゃないって、誰も教えてくれない。
言ってくれない。





寝ているだろう彼に、メールを二つ送信した。
一時間の間に。
三つ目、これを最後にしようと思った。
『○○で23時まで待ってます。もしも起きてこのメールを読んで迎えに来てくれたら、素直に帰ります。』

最後にしようと決心したメールで、彼は目を覚ましたようだ。
すぐに電話がかかってきた。
私は少し迷いながらも、うれしくて電話に出た。
彼はいつもの優しい声で優しい口調で…
「迎えに行ってもいい?」と尋ねた。
少しの沈黙の後、「うん」と頷いた。

それから彼は…
「海月の居場所はいつでも俺の隣だよ。」と言った。
私は、聞き取れないくらい小さな声でもう一度頷いた。

ごめんなさい。
本当は、本当にあの家には戻りたくなかった。
でも、目の前に座った男性が、ちらちらとこちらを伺っているように見えて(得意の妄想かもしれないが…)、怖くなったんだ。
その男性は外人だった。
アジア系の。

人種差別をしているのは、私も同じだった。
私だって在日なのに…

そうこう考えている内に、彼が迎えに来た。
誰もが私を見捨てる日は、来ない。
そういう国に生まれたんだ。
幸か不幸か。

考えたら止まらない。

昨夜、彼の性器について考えていた。
彼の性器を私が摂る方法。
・就寝中の彼に麻酔薬を打つ。
注射している際に痛くて目を覚ますだろう。
無理だ。
・彼の飲み物に睡眠薬を投入。
痛み無く摂ってあげよう。
血流を一時的に部分的に止める薬物はあるのか…
切断した部分は縫い合わせるのか…
睡眠薬の量は…
勃起したまま採取したらどうなる…
無理な話ではないんだろう。
実際、整形外科では行っているのだから。
でも私は血の赤黒い色が嫌いだ。
もう見たくない。
性器の無い彼は、キモチワルイ。。。

その夜、急に怖くなった。
誰かに何かに襲われそうな気がした。
生物が裏の門を開け、2階の部屋にやってくる。
その生物はただ大量の血が見たくてしかたないんだ。
私達の部屋のドアを開ける。
刃渡り50cmもの刃物を持って近付いてくる。
私は眠りが浅い為、すぐに気付く。
その生物に飛び掛る際に、手の平を裂かれた。
だが刃物は私の手に、その生物は私の足の下に…
私は、それに憎しみを抱きめった刺しする。
その姿を見た彼が止める。
でも私は止まらない。
ずっと刺し続けるんだ。
私は正当防衛。。。

怖い。
キモチワルイ。
馬鹿みたい。

どういう満足。

2005年2月2日
エンバーミング。
死体に触りたい。
どんな感情を起こすんだろう。

私は、空っぽの屍みたいだ。

雲ひとつ無い空があった。
私の心には何もなかった。

彼の顔。
毎日見てるのに、忘れていた。

感情を持つ生物は好ましくない。

また入院してもいいと思っている。

感受性/欠陥。

2005年1月24日
セックスに感じない。
そういえば、何に対しても何も無い。
何もない。
心は空っぽだ。

ただ居場所が無い事だけに…
なんだろう。
哀しみに似たモノがあるようなないような。

忘れていた…薬を飲んだ。
少しは『人』に近付ける…かな。

境界性/再発。

2005年1月21日
昨夜、久しぶりに境界性障害の症状が出た。
私の場合、記憶が急にぷっつりと失くなる。
ただ、映像だけはポツポツと記憶の中に残る。
この日は幸い、手首に火傷を負っただけで済んだ。
彼も怪我せずに済んだそうだ。

きっと、以前から溜め込んでいたストレスが、こういう形で表に出てしまったのだと思う。
ストレスの発散法を知らない私の弱みだ。
それを解決しなければ何度も繰り返す事になるのだろう。

陰毛。

2005年1月20日
1月7日の事だった。
彼ミツが、以前からひつこく陰毛を剃って見せてくれと言っていたので、私は「ミツが剃ったら私も剃る」と言った。
彼はその言葉を本気にし、風呂場で剃ってみせた。
私も仕方なく剃った。
初めての『パイパン』だ。
剃っている途中、痛くなったのでやめたら、後で触って確認してみると剃り残しっぽくジャリジャリしていた。
とにかく痛かった。
それに、なんとなく変態になったような気がして気持ち悪かった。

次の日の夜から陰毛は少しずつ成長していった。
痛いし痒い最悪だった。
今もまだ短いが、痒みも痛みもなくなった。

もう一生パイパンにする事はないだろう。

私とは、なにか。

2005年1月14日
ノートに自筆で書いている日記の内容をココに書する。

――――――――――――――――――――――――――――――――
◆1月5日
眠かった。
彼がセックスをしたがっていた。
私は、浮気される事のリスクを思い、断れずにセックスをした。
その頃、TOMOの父親は亡くなった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
◆1月10日
就職に付いて考えていた。
求人誌を見ながら。
「今までの私は、今の私の為に何をしてきたのだろう…」
と、呟く。
「それなら5年後の私の為に、今の私は何か始めよう」
なんて言葉は浮かばない。
5年後、10年後の娘の為に、今の私は何か始めなければならない。

『始めよう』と『始めなければならない』は違う。
――――――――――――――――――――――――――――――――
◆1月12日
・人前で見栄を張る。
・他人を卑下する。
・仕事が出来ない。
・人と接するのが怖い。
・他人の欠点を見つけるのが得意。
・酒に酔って誤魔化す。
・自分を含め、全てを否定する。
そんな自分が嫌い。

私は人が亡くなるのを好む。
だが子供の死は見たくない。
他人の事で悲しみ、涙を流す自分が嫌い。
関係ないのに。
現在の私は、私の好きな人達だけが幸せであればいい。
異国の他人も、近所の他人も、同級生だった人等も…嫌い。
そして、その方々も私を嫌いなのでしょう。
お互い人生に関係ないわけであって、死のうが苦しもうが、どうでもいい事なのではないのか。
それが「人間」という生き物だと、私は思う。

しかし、現在の私には何も語る権利などない。
――――――――――――――――――――――――――――――――

真っ暗な心。
でも、小さな光が差している。
そんな気がする。
その綺麗に輝く光は、26年の間に出逢えた綺麗な心の持ち主達。
それを思い出した。
決して忘れてはならなかった。

「人生、捨てたもんじゃない」と思える日がきっと来るだろう。

新年早々償い。

2005年1月7日
今頃になって、TOMOとセックスした事に罪悪感を感じ始めた。
彼ミツの顔を見る度に、TOMOと会う度に、その罪悪感は大きくなるばかりだ。
もう自傷行為は目に見えていた。

新年が明けて、アルコールを飲む事が多くなった。
ある朝、目が覚めるとやはり手首を切っていた。
傷はとても浅い。

前日の記憶を辿った。
TOMOとの浮気の罪悪感をリストカットする事で、罪を償おうとした。
傷は浅かったが、『これでいいんだ。これで罪は消されたんだ』と思う事にしたのだ。
そして、もうこんな間違いを犯さない決心をした。
少し気持ちが楽になった。

安い関係だった。

2004年12月28日
幼い頃から一緒だったたった一人「友達」だと思ってたHANA。
先日、彼女は急に私に絶交宣言をした。
友達だとか親友だとか言っていたけど、全て嘘だった。
HANAは言いたい事をメールで3通にも亘って、送ってきた。
返事を返す気にもならなかった。
怒りも失せた。
悲しみも感じなかった。
むしろほっとしたような感情があった。
私自身も、彼女の事を本当は心のどこかで嫌っていた。

昔の事を思い出した。
何年も前、私がまだ結婚生活を送っていた頃の話。
直接的な感情も理由も思い出せないが、私はHANAに消えてほしかった。
(元)主人に頼んだ。
主人は裏関係の事に関与していたので、そういった知り合いが多かったからだ。
依頼をすれば人を消してくれる話が、丁度その頃あったのだ。
私は本気だったに違いない。
主人は、そんな私を咎めた。
「絶対に後悔をする」と。
その時の元夫には感謝している。
後々、面倒な事になるのはご免だからね。

HANAに対しての感情は、なんだったんだろう。。。

彼女の嫌いな点を述べるのには、たくさんあって面倒くさい。
そして彼女の好きな点を述べるには…
わからない。

やはり人間は孤独な生き物なのかもしれない。
涙の一粒でも流せたらよかったのに。

私という入れ物。

2004年12月28日
津波で2万人以上の死者…
少ない。
もっと死ねばいいのに。

体調不良再発。
真っ直ぐに歩けない。
いつもフワフワとしている感じで、地に足が付いていない。
だから外に出たくない。
出たくなかったんだ。

クリスマス、忘年会、誕生日、それから新年会…
面倒くさい。

本当に、この世の中に対応しきれていない自分に腹が立つ。
私はプライドが高い?
高飛車なだけかもしれない。
外面がいい。
礼儀正しいかったり、返す言葉もすぐに見つかる。
女だから得している部分もある。
例えば笑顔、色気、信頼性、安心感…かな。
だから接客業には自信がある。
主に水商売だけど。
商売に限らず、私は自分が病気だという面を見せない。
当たり障り無く、話題にはする事がある。
大抵、興味を持つ人間が多い。
でも私は絶対に見せない。
その努力(?)、生まれ持ったプライド(?)…
とにかく疲れる。
その反動は大きい。

とにかく私の性格が悪い。

かけがえのない。

2004年12月23日
クリスマス、娘には何か生き物をプレゼントしようと思う。
娘に、『生と死』を教える為に。
自分自身にとっても、それは病気を治すなにか重要な手掛りになるかもしれない。
『新しい家族』
『生命』
『愛情』
それらを感じる事ができるのはないか。
最近の病状はというと、あまりいいとは言えない。
特に、目眩が酷くそのおかげで日々の記憶も薄い。
前日の事ですら思い出せなくなっている。

病院には行っていない。
担当医に合わす顔がないのだ。
今まで自制できなかった自分自身が悪い。
医師に自ら宣言した事さえ、怠っていた。
そしてこの有り様だ。

キーボードを打つのも遅くなったし間違える事が多い。
身体で覚えていた事も今では忘れかけている。

何度も同じ本を購入してしまったり、いつの間にか知らない行動をとっていたり、好意を抱いていた有名人の名前を思い出せなかったり、何もしていないのに時間が過ぎ去っていく。
私の意識は朦朧としているせいなのか、何度も同じ場所を歩いたりもする。

感情とか意志とか思考とか…
言葉にするのが難しく思える。
何度も言い替えたり、何度も書き直したりする。
それで疲労が絶えない。
結局、今日も病院へは行かなかった。
今日は親の仕事の手伝いに出た。
それだけだ。

最近、薬は寝る間に1日分を飲むのが癖になった。
『寝る前』だけの薬では全く眠りにつけないからだ。
この事実はもちろん彼も親も知らない。
一日分を寝る前に一気に飲むと意識を失うように眠りにつく事ができる。
目覚める時には薬の効き目が少し残っているが、不快な感じはしない。
私にはそれが丁度いいのだ。

そろそろ薬が効き始めてきたようだ。
今日も布団に入ってから、何も考えずに眠れることだろう。

逃げ道。

2004年11月30日
以前、TOMO宅へと足を運んだ。
TOMOの母親は精神患者だと聞いていたので、楽しみにしていた。
会ってみるとTOMOの母親が精神患者だという事は一目瞭然だった。
何度も会っている内に、TOMOの母親とは仲良くなった。
携帯の番号も交換した。
それが今となっては失敗だったのだ。

TOMOがミツと一緒に出張に出てからというもの、TOMOの母親から何度も何度も電話がくるようになった。
ストーカーされた経験のある私は、それとTOMOの母親が重なりつつあった。
私はTOMOの母親からの着信を無視するようになった。
すると彼女は毎日何十回と電話をかけてくるようになった。
私は怖くなり、電源を切るようになった。

先週末ミツが帰宅してから電源を入れるようになったが、TOMOの母親からの着信はなくなっていた。
少し罪悪感を感じた。

―――――――――――――――――――――――――――――

今日は、娘と母から逃げる事ができた。
一人でいる時間を有意義に過ごす事ができる。
明日は親の仕事の手伝いと、病院の日だ。
どちらも行きたくない。
何処も行きたくないし、誰にも会いたくない。
私は逃げる事ばかり考えている。
先々週末、ミツが出張へ行く前夜の事。
私は寂しさのあまり自己を見失い、彼に怪我を負わせてしまった。
曖昧な記憶の中、思い出した映像はあまりにも酷かった。
彼の右手に煙草の火を押し付ける私。
彼の身体に何度も噛み付く私。
…もう思い出せない。

先週始め、私はずっと泣いていた。
だが、それは木曜辺りにパタッと治まった。
泣く想いは辛く苦しく…私には耐え難かった。
その涙を止めたのは、元婚約者だったYだった。
私のミツへの想いは彼へ移相した。
彼Yとの1日目は何もせず彼宅で寝泊りし、2日目はホテルで泊まり酒と共に溺れた。
そして週末ミツが帰宅すると共に、Yへの想いは白紙に戻った。

私の行動には呆れる。
彼の前では泣き暴れ疲れ、彼のいない所で『遊んでいる』。
『私』を私とは認められない。
殺してしまいたい。
葛藤している私は、今日も震えが止まらない。

私としてミツの為に生きていたい。
今週は、まだ始まったばかりだ。

彼の右手を思い出すと、涙は止まらない。

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