11/15

2003年11月15日
11月15日
 昨夜、友達の車で海に向かった。現地に着き、火を熾しながら釣りをした。私は、子が一緒だった為あまり楽しめずにいた。私と子は夜が明ける前に車の中で就寝した。
 午前中に彼の自宅に着いて、私達は再び眠りに就いた。散々寝てから目覚めた気分は、いつもと変わらず最悪なものだった。
 何日か前の彼の隠し事を発覚したその日から眠っている間も悪夢を見るばかりだった。そして起きている時は妄想を繰り返す日々。このままこんな辛い日々がずっと続くのかと思うと、私は不安で仕方がない。
彼が寝ている間、こっそり携帯をいじってみたり…私の知らない人名の登録があると疑ってしまう。メモリーから削除してしまおうかとさえ思ってしまう。さすがにそこまではまだできていないが、いずれはそういう行動も取ってしまうに違いない。

友達がたくさんいるからって、それが自慢になるとでも思っているのだろうか。彼は、友達を欲しがる。いつでもどこでも友達を連れたがる。群れたがる。私には理解できない。友達なんか一人いればいい筈だと思っている。あとの残りは知り合いでいい。友達とは、2ヶ月に1回程度会えればいい。ましてや知り合いとは、1年に2、3回会えばたくさんだ。どうでもいい。面倒くさい。実家に帰りたいとさえ思える時がある。
今日はなんだか憂鬱だ。早く夜になってほしい。そしたら少しお酒が入って、少しは気分が良くなる。この孤独感から早く逃げ出したい。彼の携帯を壊してしまいたい。彼の過去全てを消し去りたい。この異常なまでもの独占欲が私の身も心も疲れさせている事は充分に理解はしている。だが、それを治す薬は何処にも売っていない。

寝ている彼に酒を飲んでいいか尋ねてみたところ、あっさりOKをもらえた。きっと寝言のような返事なんだと思うが、気にせず飲み始めた。やっぱりお酒を飲み始めると私は前向きになれる。彼の携帯の事もさほど気にならなくなった。こんな些細なこと気にしている方が馬鹿げてる気がしてきたのだ。
そういえば、この前した足の『根性焼き』の水ぶくれが破裂した。痛みを感じた。少し嬉しかった。それと、右手の小指の付け根の切り傷も痛む。
幼い頃、私は人間とは少し違うと思っていた。人には言えない…人には言っても信じてもらえない力があった。この世に神様がいるとするならその神様は、私には両親の愛情を与えなかった代わりにその力を与えたのだと思った。この文を読んだ他人は、私の事を変な人だとか頭がおかしいとか自惚れだとかその他色々と思うのだろうと思う。それでもいい…なんて開き直れない自分がいる為、私はこの文(日記)を誰にも見られないように保管する。世の中に反発してはいるが、臆病なのだ。
その力の話だが、精神的に辛い時にだけハッキリとそれは分かる。今朝は、まだ空が明るくなる前に犬を見た。私は犬の種類に詳しくないので、それが雑種なのかなんなのかさえわからない。しかし雑種でなければ柴犬だったんだと思う。その少し小さめのクリーム色した犬は、私達の方をいつからかじっと見つめていた。私が気付いた時には、その犬にだけオレンジ系で暗めのスポットライトがあたってるような感じだった。私は眼鏡をかけても両目で1.0の為あまりよくは見えなかったが、犬がいる事はすぐにわかった。それにお酒もまだビール半本も飲んでいなかった。私は少しの間、その犬を見張っていた。こんな夜更けに野良犬がいるのだから少し妙だなとは思っていた。でも恐怖感は全くなかった。隣りにいた彼に、『犬がいるよ』と教えようとした瞬間、その犬はオレンジ色のスポットライトと共に消えてしまった。私はあっけにとられ少しの間、その場を眺めていた。すると。彼が『どうしたの?』と尋ねたので、『犬のオバケがいた』と答えた。彼は『また見えたんだ』と微笑んだ。その瞬間、私は私の力を信じてくれる人がいる事の嬉しさと、犬に対して『オバケ』と言った事を悔やんだ。せめて『犬の幽霊』と言った方がよかった。この場で謝っても仕方ないのかもしれない。だけど、届く事を祈って…ごめんなさい。…また、これも自己満足の世界になってしまうのか…とか思う自分が小さく思える。
その後、子猫の鳴き声が耳元で…本当すぐ近くの耳元で2回程聞こえた。他の誰もが聞いていなかったみたいだ。だけど、朝方真っ黒く可愛らしい子猫が海岸を走り回っていた。とても微笑ましかった。昔一緒に暮らしていてお世話になったウサギのほー君を思い出させた。その子猫は、私の中のほー君の存在を知っていたのかもしれない。
私に備わっている力の話に戻るが、何日か前に2度ほど彼のに関する事がわかった。彼が口にする前にわかったのだ。彼は、一度目には気付かなかったが、二度目に『どうしてわかったの?』と聞いた。私は『なんとなく』とだけ答えておいた。
それに、これは幼い頃からハッキリとわかる事なのだが、隣りにいる人もしくは近くにいる人が心で感じて歌っている歌が私にはわかる。私も心の中で勝手に口ずさんでいる。すると、その相手は途中から私の心の中で口ずさんでいた曲と全く同じ曲を口ずさむ。私自身、最初の頃は驚いていたが今ではもう慣れっこになった。この現象は、鬱に入っている時以外にもほとんど常にある。だから、私には元々どの力は存在する。もしかしたら、世界の人々の皆がその力を持て余しているだけの事かもしれない。

また副人格が現れた。麻林と書いてマリンと読む。推定、私より少し若い女性だ。なぜ現れたのかを知ったかは、11月11日の日記を見れば分かる。私の記憶にない日記がただ一つあった。ご丁寧に署名もしてあった。ふざけた奴。私の介護の仕事中の記憶までちゃんと残してある。彼女とは確か2年程の付き合いだ。ほとほと困らせられている。
そして、私の記憶の中に多少残っている唯一の副人格は、刹那だけである。最近私は、刹那だけはもしかしたら副人格ではなく、私自身なのかもしれないと思い始めた。しかし、この前も彼女が私の体にタバコの火をつけた時、私は痛み…じゃなくその言葉では言い表せられないショックで目が覚めた。その瞬間もちろん刹那は消えた。いつも毎回そうなのだ。リストカットだって、彼女が切って彼女は消え私が目を覚まし、最後の処理はいつも私の役目だった。

私はいつの日かお酒が弱くなった。今ビール35缶を3本目。彼には2本目という事になっている。こういう事…都合の悪い事は、自分のせいにはしない。彼が義姉と隠れて連絡を取っていてそれを私は知ってしまったから…だから私のまたお酒に溺れる日々が始まってしまった。仕方がない。誰が悪いわけでもない。私を裏切った元旦那も悪ければ、私に充分な愛を注げなかった母親も、それが虐待だと気付かずに虐待を繰り返した父親、朝鮮学校に通っているだけで偏見を抱くこの世の中、私の真実を知りながら私の全てを受け入れてくれなかった元彼氏達、最後は自分自身の事もろくに管理できないのに欲望だけで子を生んだ私。
でもね、子の事はとても大事に思っている。子はね、決して私を裏切ったりはしない。
なのに、どうして私は子を愛せないのだろう。ただ『愛している』を言葉にするばかり。私がこの世の中で唯一、幸せになってほしいと心から願う人、ただ子、一人だけなのに。それは私の力ではなく、他人の力で…その子の力で。強く優しく賢く綺麗な人…そして私のような汚く無脳な人間にはなってほしくない。

11/11

2003年11月11日
11月11日(火)
 今日は、昨日の、先輩と一緒でした^^
 そんで、なんだか…看護婦さんの彼女は仕事の出来ない人で、私的には都合のいい人でした。だから、運転手の人(二日間一緒だった人)と仲良くなれてよかったです^^
 コースがキツクて帰りは遅かったけど、割かし楽しかったです。
 そこで、彼女も一緒だったけど、(二日間一緒だった)彼と、ミツの話をして、私はストレス発散できました。
                                   by;malin


11/10

2003年11月10日
11月10日(月)
 今日は、介護の仕事だった。仕事中考えていた。最初は平気だったのに…。
 一人になった。移動中、アイコの『初恋』という曲がかかった。私の好きな切な曲だった。私は、彼の事を思い出したんじゃなく、彼女(義姉)の事を思い出していた。彼女は、私の兄を奪い彼さえも奪おうとした。許せない存在だと思った。これから一生、私は彼女を許す事ができないだろう。
そして、彼女と彼の間で交わされた会話を、私は一生知る事が出来ない。なぜなら、彼の言葉でしか知る事ができない。彼女に確認することはもうあり得ない。彼女と私が関り合う事は、親族の行事以外は考えられない。それは、私が彼女を許せないからである。
彼に聞いた話では、『彼は、彼女に「私が彼女と彼が連絡を取る事を嫌がっている」と話した』と言っていた。それなのに彼女は、私が嫌がる事…またリストカットをするような原因を差し置いて、彼と連絡を取る方を取ったのだ。彼女の事を許せる筈がないと思っていた。
そして、彼の事も許せないような気がしていた。しかし、『彼女に負けた』事を認める事など私にはできない。だから『私は私自身と闘い、彼を信じる』という選択を選んだ。
一人になると、私はまた彼女と彼の事、そして元彼女と彼の事…つまり、彼の失態を思い出すだろう。それは、自分との闘いだと思っている。私は、私に勝つ為に頑張る。『頑張る』という言葉は大嫌いだが、私の親友は自分との闘いに勝った。だから彼女の事は尊敬している。彼女の事は信じている。彼女のように強い人間に…女になりたいと思っている。
仕事場では、私は変人扱いされている。それもどうでもいいわけじゃない。世間に合わせられる大人になりたい。私の過去はどうしょうもないけれど、義姉には負けない。元彼女にも負けない人生を送りたい。
この思いは、きっと彼に依存しているだけなのかも知れない。いつの日か、私は彼よりも上の立場になってみせる。それは、愛している具合ではなく、人間として、人間らし、う生きてみせる。それが、子の為でもあって、私自身の為でもあるわけだから。

11/7

2003年11月7日
11月7日(金)
午後12時20分、彼の携帯が鳴った。(バイブレーション・マナーモード)
私は、彼に携帯が鳴ってるよと言った。彼は知ってると言いながら、携帯を見ようとはしなかった。私は見せてと催促をしたが、彼は勤務表を書いているからちょっと待ってくれと言い、私に携帯を貸さなかった。
そして5分が経過。彼は少し離れた所で携帯を見た。そして、お前の姉ちゃんからだよと言い、メールを読み始めた。『ひさしぶり。喧嘩でもしてたの?仲がいい事は良いことだ。』というような(?)内容だった。
 わからない。私はその後、何をしていたんだろうか。気が付くと、私の膝枕で彼が眠っていた。私は放心状態だった。娘が来た。娘に縋り付き泣いた。なぜ泣いたかは覚えている。義姉に対し、殺したい程の憎悪を感じた自分が嫌になった。私は母親だ。
…思い出した。彼女をどう殺そうか考えていたんだ。そして、彼を捨てる事と彼を捨てた後どういう生活をしようかと考えていた。
顔が崩れそうだ。ミシミシと音をたててキシキシと痛む。瞳は瞳孔が開きそうだ。

『変えられないモノを受け入れる力、そして受け入れらないモノを変える力』

10/30

2003年10月30日
10月30日(木)
 今日もミツの家の仕事を手伝った。午後1時半から4時ころまで。私が仕事をしている間、ミツは近所のパチンコ屋さんに行った。しかし、すぐ負けたらしく1時間程で帰って来ると、2階の部屋へ行き子と二人で眠ってしまった。
 昨夜は、夕飯をお寿司屋で済ませた後、子を実家に送り届けてからお台場の方までドライブしに行った。それからレンタルビデオ屋で洋画ビデオをレンタルし、部屋に戻って二人でビールを飲みながら映画鑑賞をした。途中、私は酔っ払って意識が朦朧としていた。確か、4本目を飲んでいた頃、私は『私』である為に頑張っていたが、途切れ途切れに何人もの副人格と交差していた。もう思い出せない。ただ、自殺願望と闘っていた記憶はある。あとは、久しぶりに、自分が書いていたネット公開の日記を読んでいた。嫌な事を思い出した。ミツの両親の嫌なところや、ミツの嫌なところ、自分自身の嫌なところ、友達のことも、実両親のことも…世の中の物事全てに嫌気が差していた事を思い出した。
 最近私は、子供虐待の漫画本を買って読んだ。そこで気付いた事があった。私は、小さい頃父親に虐待を受けていたのかも知れない。私が幼児の頃から、父親は毎日怒鳴り声を上げては物を投げつけていた。幸い、その父が投げた物が当たった事は、私は一度しかなかったが、父が帰宅すると怖くていつも寝た振りをしていた。そして、小学生の頃は父と同じ年代の男性とはまともに話す事ができなかった。男性恐怖症という病名であると思える症状だった。中学生になって、私は父と同じ年代の男性を求めるようになった。父親に愛されないで育った為、父親のような存在が欲しかったのだと思われる。そして、高校中退してから、バイトをしては辞めるを繰り返した。ある日、久しぶりに会った幼馴染と売春をする事になった。ただお金が欲しかった。実家も出たかった。自由を手に入れたかった。売春商売の相手は、ほとんどが父と同じ年代の男性であった。売春を始めてから2ヶ月を過ぎた頃、とてつもない嫌気が差してきた。半年続けた後、そのお店で知り合った男性と交際を始めた。その彼が、今となっては『元旦那』となっている。元旦那とは付き合って2ヶ月程で妊娠をした。初めの子は、泣く泣く降ろした。母親になる自身がなかった。2番目の子は、その半年後に授かった。『もう降ろす事はしたくない』と思い、生む決心をした。だが、その頃元旦那との関係は良くなかった。元旦那はバツイチだった。私に隠れて、前の奥さんと子によく会っていた。その事で、私は彼と結婚をしても分かれるのは時間の問題だろうとわかっていた。妊娠6ヶ月、元旦那の浮気を発覚した。そして妊娠7ヶ月、元旦那と(元旦那の)前の奥さんとの関係がまだ続いていた事を知った。私はそれを知った瞬間、目の前が真っ白になり、我を失った手首を切っていた。気が付くと、右手に剃刀を持ちパックリ開かれた左手首の傷を眺めていた。辺り一面に真っ赤な血が流れていた。元旦那がかけつけ手首にタオルをきつく縛っていた。救急車を呼ぼうとした彼は受話器を一瞬持ち上げたが、夜中の12時を過ぎていたし騒ぎが大きくなる事に躊躇し、受話器を下げた。私は唖然とした。私は多くの血液を流したままベッドに横になった。そしてそのまま気を失った。ジュータンについた赤い染みは何日も放って置かれたままだった。その後、元旦那は仕事から帰ってくると怒り出した。ジュータンの染みをいつまで放っておくのかと。そんなこんなで妊娠10ヶ月になった頃、元旦那の母親が、早く籍を入れろと言ってきたらしく、元旦那はマザコンだったため籍を入れる事になった。女の子が生まれた。私たち元夫婦の間で、こんなにも可愛いらしく整った顔の子が生まれるとは思ってもなかった。子が生まれても彼の行動は変わらなかった。
 そして子が半年たった頃、私は『どうしてこんなに可愛いのに愛せないのか』と不安に思い、精神病院を訪ねる事になる。『虐待』という言葉が流行りだした時代だった。私は、まだ幼児の子を殴りそうになっていた。殴りたい気持ちを抑えるのに必死だった。精神科で相談したところ、私は軽い鬱病だと診断された。軽い睡眠剤と安定剤をもらったが、即効性のあるものじゃない為、暴飲して終わった。その精神科にはそれ以来行ってない。薬に頼るのもどうかと思った。幸い、子を殴る事はなかったが、アルコール依存症に発展した。元旦那とのセックスも拒んでいたが、酔うとセックスができる事を知った彼は、性欲が満たされたい時には私に土産として焼酎やワインを持って帰って来るようになった。
 子が1歳と2ヶ月になった頃、私と元旦那は離婚した。離婚の直接の原因は、私にあった。私は、その日まで一度も子を置いて遊びに出かけた事がなかった為、ハメをはずしてしまった。夕方、食事が終わると前々から約束していた幼馴染に会いに約束場所の駅に向かった。幼馴染は彼氏と二人で待っていた。3人で少しこじゃれた居酒屋に行き、お酒も入り盛り上がっていた。すると幼馴染が、彼氏の友達を紹介すると言ってきた。私は軽い気持ちOKをだした。その友達もすぐに来た。散々飲みおしゃべりをして、私は新鮮な気持ちを取り戻していい気分になっていた。帰りは、その友達に車で送ってもらった。帰り際、キスをされた。嬉しかった。この一部始終を日記に書いていた。その日記を元旦那が読み、キレたのだ。そして勢いで離婚の話を持ちかけてきた。私は、以前から離婚の決意がかたまっていた為、待ってましたとばかりに翌日早朝離婚届を出しに行った。元旦那は呆気に取られた顔をした。『本当に別れるなんて思ってなかった…』と。私は、元旦那に荷物をまとめさせ出て行かせた。スッキリしたのと同時に、これから先子には父親がいない事の不安が募った。
 私は相変わらずアルコール中毒で、昼間から夜中まで睡眠以外の起きている時間はずっとアルコールに溺れていた。ある日、買い物をしようと子を連れて外に出ると、誰かに殺されるんじゃないかという恐怖感に襲われた。私はすぐに家の中に戻ると、座り込んで少し考えた。そして包丁を上着の袖の中に隠して、買い物に出かけた。そんな毎日を過ごしていた。
 生活費も底を尽きると、私は子を母親に預けまたお店に行けば1日売春を始めた。その3万手に入った。
結局断れずに、ミツの両親の仕事をバイトとして手伝うことになった。
初日はミツがお休みの日だった。
私が仕事を手伝っている間ミツは、自分の趣味の車改造のため何時間も車の部品をいじっていた。
時間がたつにつれ、細かい作業とミツの勝手な行動に苛立ってきた。
『そんなに親を助けたいなら、ミツが手伝えばいい』
と、そんな愚痴ばかりを回想していた。

7時間の労働を終え、またしてもミツの両親と共に食事に出掛けた。
人間付き合いが苦手な私は気疲れして食欲がなかったが、ビールと日本酒を飲んで少し陽気になったフリをした。

ミツの父親は、私の元同僚(A子)の話をし始めた。
「最近、A子ちゃんは元気か?」
なんて、何十回聞かれたことか。
「A子ちゃんは本当いい子だったよな」
それも何十回も聞きました。
「お前のこと、本当いい子だって言ってたんだけど、逆に…」
逆になんでしょう…
ミツの父は言葉を止めた。
「い、いやー、本当あの子はいい子だったなー」
と、言い直した。
彼は、一度会って少し話をしただけで、A子のいったい何を知っているつもりなのだろう。
ただ『彼の好みの女だった』だけなのだろう。
A子は、私よりも10歳上の大人の女性。
人当たりがよく、誰にでもすぐに好かれる。
だけど、利用価値のない人間は切っていく。
捨てられた人間だけがわかる。

またミツの父は、子に対して妙なことを言っていた。
子が、ミツ家の飼っている犬(H)に「Hちゃんのエサはあっちにあるよ。」と言った。
ミツの父は急に…
「○○たん(子)のエサはここだよ」と言った。
子は、不思議な顔して無言でいた。
ミツの父は、その言葉を何度か繰り返した後、
「Hちゃんのゴハンは、エサって言わないでゴハンて言ってあげてね」と言った。
私はその会話を少し離れた場所で聞いていた。
他に違う教え方があるだろうと思った。
だって、子は間違っていない。

ミツの母親は、ミツにとても気を使う。
私には理解できない。
お客さん(ミツの友達)がいても、お客さんよりミツに気を使っている。
お客さんがいる夕食時も
母「ミツ、おかわりは?」
ミツ「いらない」
他人へは聞かない。。。

以前、ミツの後輩君と私が二人きりで話をしたときに、後輩が言っていた。
『○○家(ミツの家)にいても、居場所がないからあまり長居したくない。』
そういう事だろう。
気付いていないのは、本人達だけ。

ミツは、母親にとても気を使う。
ミツの母が、自分のお皿から私の子の大好物の貝類を取り分けてくれた。
子は喜んでいた。
ミツは急に「もういいよ。自分で食べなよ。」と母に言った。
母は黙って手を止めた。
私も子も黙り込んでしまった。
どういう意味があったのだろう。。。

ミツはいつも、私と子より先に両親に気を使う。
外食をするときも、先に両親に何が食べたいか聞く。
両親が答えた後、私と子に質問する。
当然「なんでもいいよ」と笑顔で答えるしかない。

私は小さなことを気にしすぎなんだろうか。
一人一人接する分には、とてもいい人たちだと思っている。
だけど、ミツの家族に入ってうまくやっていく自信はもうない。
結婚も考えられない。
ミツの家族といると、私と子は他人で入れない空間があって居場所もなくて、ドラマみたいな家族ごっこを見せ付けられてるような気がしてならない。
子にも影響があるんじゃないかと。

ついこの間、子が言った。
『○○たんにはパパはいないんだよ』
私は、軽はずみな言葉を口にした。
「ミツにパパになってもらうのはどうかな?」
『ミツはパパになっちゃダメなんだって、お祖母ちゃんが言ってた。』

私は頭がオカシクなりそうだ。
性格が悪いのも自覚している。
このまま自分を押し殺して、子を犠牲にして、自分を見失って自殺願望に苦しむ日々が目に見えてる。
生きてる意味がわからない。

嫌煙

2003年8月25日
何日か前にミツの母から、仕事を手伝ってほしいと言われた。
給料も出るらしい。
ミツは大喜びで賛成した。
『都合のいい時間があれば、お手伝いに来ます』
と、私は答えたが…役所への用事、バイトの見学、本職の仕事が重なり、すぐには行ける気配はなかった。

相変わらず短気なミツが痺れを切らし苛々しているのがわかった。
彼は、事務所にいると言った私に「暇なら母の仕事を手伝い行ってやってよ」と言った。
『事務所にいるのに、暇なわけないでしょ?』と言えない私は…「今忙しいから、もう少ししたら行けると思う」と曖昧な返事をした。
そして30分後「やっぱり今日中に受け取らなきゃならないデータがあるから、まだ行けそうもない。ごめんね。」とメールをした。
返事のメールはこない。

彼はマザコン?

それとも私の変?

どちらでも構わないが、とにかく胸糞悪い。
外食するにも両親を誘う。
温泉に行くにも両親を誘う。
BBQだって、キャンプだって、何をするのも両親を誘う彼。
親離れしていないのは、きっと私じゃなくて彼だろう。
人間と接触をする事が嫌いな私は、気疲れする。
この先、上手くやっていけるか不安だ。

生理が遅れているので、妊娠検査薬を試した。
結果は陰性…ほっとした。
もしも陽性であったら、どうしただろうか。
私は誰にも言わずに下ろしたに違いない。

最近、愚痴が多い。
人に話さない分、ココでは溜まっているモノを吐き出してしまう。
ミツとは、義姉に会わせてから歯車が狂うようになった気がする。
ミツの言葉が、義姉の嫌味な言葉に重なって聞き取れてしまう。

『二人ともいらない』
と、思ったあの日から。
私は、二人を嫌煙するようになった。
『最近、義妹(私の事)の対応が冷たい。』
と、義姉がミツにメールした。
冷たくもなんともない。
私はいい人ぶって、私の大好きな実兄の愚痴にも、実両親の愚痴にも優しく対応している。
なにが不満なのか。
これ以上なにを求めているのだろうか。
兄も取って、彼まで私から取り上げようというのだろうか。

手首が痛む。。。

それを解ってくれないミツに八つ当たりをした。
ミツがキレた。
ミツが義姉の味方をしているように思えて、私は余計に虚しくなった。
二人ともいらないと思った。

そして死ぬ事を考えていた。
実家では死ねないから、何処か場所がないかと考えていた。
血まみれで気を失っていく自分の姿を想像していた。

最後に祖母と祖父に会いたくなった。
暑い中、子を連れて花束を手土産にし、大好きな祖母と祖父に会いに行った。
会いに行ったのは、何年ぶりだったろう。
祖母も祖父も優しく迎えてくれた。
話したい事がたくさんあったのに、顔を見たら全て忘れてしまった。
ただ涙が溢れた。
死ぬ事はできないと思った。
また会いに来るねと言い残し、お墓を後にした。

帰り道、ミツの事を思い出した。
ミツを失いたくなくなった。
『なんでもするから捨てないで。』
メールで謝った。
全く反省なんてしていない。
ミツを失いたくないから、ただ謝っただけだった。

2〜3日前、ミツに問いかけた。
「私のどこが好きなの?」
私はずっと以前から疑問に思っていた。
ミツは少し考えた後…
『捻くれてるところ』と、答えた。
私は笑った。

『独り』

2003年8月22日
他人の心配するより、自分の心配しなきゃ。

ミツの『女好き』には、うんざりする。
私は彼を、この世で一番の理解者だと勘違いしていた。
彼はただの『しったかをする男』だった。
何度言っても私を解ってくれない。

ミツが新車を購入した。
友達みんなを驚かせようと、新車が自宅に来るまでは内緒にしておこうという話になった。
けれど彼は、私の義理の姉には勝手に話した。
理由は…『友達には言えないから』。
なんなんだろう。
彼に、姉のメールアドレスを教えた私が馬鹿だった。
何かあるごとに姉にメールをする彼。

彼と姉を初めて会わせたとき、私は気付いていた。
彼が姉を気に入った事を。
私はヤキモチを妬いたが、それを見せたくなかった。
だから姉のメールアドレスを教えた。
試したかった。
まんまと彼は、私の『試し見』にひっかかった。

呆れた。
飽きた。
どうでもいい。
私は、私の為に生きていこう。

5歳年下のメール友達Z君には、『私は君とは付き合えない、彼氏を愛しているから。それに、君の私への感情は錯覚なんだよ』という内容でメールを送った。
しかし彼Zは解らないようだ。
逆に感情を熱くさせてしまったようだ。
今の彼Zは、ただ現実から逃げたいだけであって、独りが怖いから私という都合のいい相手を求めているだけの話だ。

面倒くさい。
人間関係なんて、私には面倒くさいだけだ。
私の何が解っているのか…
解るフリをするのはやめてほしい。

だけど何も言えない。
責める事もできない。
私も『独り』になるのが怖いから。
私は、5歳年下の男の子とメル友をしている。
彼のHNは『ZERO』。
ZEROの写真は見た事がある。
どこにでもいそうな普通の学生だった。
どちらかといえば、少し童顔で可愛い感じの子だった。
だけど彼Z(以下Zと呼ぶ)は、対人関係を苦手とする精神障害者であった。

私と彼Zが出会ったのは、某有名なサイトの掲示板だった。
どうしたわけか、私は彼Zの事を疑いもせずに出逢ったその日にメールアドレスを教えた。
少し話した後、私の写真が載っているサイトのアドレスも教えた。
彼Zとのメール交換していた1年間の私は、彼Zの精神安定剤と化していたに違いない。
今思えばカウンセリングを気取った私は、ただの自己満足でしかなかったのかもしれない。

私は既に、彼Zの気持ちに気付いていた。
だが、彼Zを止める事ができなかった。
彼Zは片道5時間はかかる遠い自宅から、私に会いに来ると言った。
私はとても嬉しかった。
心が弾んで、彼Zが来る日の予定を考えていた。
色んな話をして、色んな所に連れて行って、色んな遊びを教えてあげようと思った。
私は素直に喜び、素直な気持ちをメールにした。
それは間違っていた。
そして彼Zから『好き』という言葉をもらった。

以前、カウンセラーの本を少し読んだ事がある。
『医師は、担当患者に恋愛感情を持たせてはいけない』とあった。
しかし私はカウンセラーではない。
ましてや医者でもない。
そこまで悩む必要はないのかもしれない。
けれど、彼Zの事を大切に思う気持ちが、彼Zを生かせてあげたいと思った。

本当は…
彼Zを『私』にみせていたのかもしれない。
精神的病は、治す事ができるのか確かめたかっただけなのかもしれない。

これからどうするべきなのか、わからなくなってしまった。
だけど私は、決して彼Zを見捨てはしない。
午後、親の愚痴にうんざりしていた。
子を連れて事務所に向かってた。
仕事を一段落終え、シャワーを浴びてミツの迎えを待った。

迎えに来たミツの機嫌は悪かった。
悲しくなった。
実家では両親の説教を聞いていなければならない。
事務所は落ち着く場所ではない。
いつ誰が来るかもわからない。
ミツだけが、私の居場所だと思っていたのに…

私が欲しいモノは一つ。
私と子と好きな人が帰る場所。
家が欲しい。
落ち着く居場所が欲しい。
帰りたいと思う家が欲しい。
大好きな家族が欲しい。

ミツは、実家を出られないと言った。
『両親を助ける為に』
気持ち悪くなった。
両親と心中すればいいのにと思った。

初めての小便の味

2003年8月18日
久しぶりに実家に帰ると、また欝になった。
実家に帰ると、毎度のように親が突っかかってくる。
なにか欠点を見つけては説教を始める。
私は、親のストレスのはけ口になる為に生まれてきたようだ。
実家からミツに会いに行くと、ミツはいつも言っていた。
『今日も挙動不審になってるな』と。
ミツは『私』をすぐに感じ取る。
そして受け入れる。

この日は、二人で中華屋に行った。
少しのお酒で酔った私は、疲れているミツをバーへと誘った。
酔った勢いで、自分の失態を話し始めた。
昔の男友達メールのやり取りをしている事、会う約束をした事…
ミツは怒った。
私はミツの怒った顔を久しぶりに見て、ご機嫌になった。
ミツの険しい表情に惚れ直していた。

2時間もしない内に、バーを出た。
ミツは帰る途中、立ち小便をすると言い、道の脇に寄り小便をし始めた。
私はミツの性器から流れ出す小便をペロッと舐めた。
ミツは機嫌を直し、私にキスをした。

以前から私は、ミツを変態だと思っている。
ミツは、小便を飲まれる事が嬉しいらしい。
それを『愛されてる』と思うらしい。
『自分の為にそこまでできる』と思うらしい。
合っているのか間違っているのか…

この日、初めて飲んだ小便の味は、思ったよりしょっぱくなかった。

夏休み

2003年8月17日
ミツの夏休みに入って、ずっと実家には帰ってなかった。
大雨続きだったが、海でキャンプしたり朝方まで飲み歩いたりした。
特に変わった事はない。

元婚約者Yからのメールは、私をガッカリさせた。
『副業で1万稼いだが、ギャンブルで磨ってしまって、今まったく金がない』という内容だった。
同情すらできなかった。
彼の家に忘れてある私の荷物を取りに行く事すら、面倒くさくなった。

生き続ける私。

2003年8月11日
無償に死にたくなるときがある。
だけど死ねない事もわかっている。
だから死ぬ真似をしてみる。
コンビニで剃刀かカッター、あとお酒を飲みきれないくらい買って、彼の家に行く。
酔ってリスカして病院運ばれて縫って帰って寝る。。。
馬鹿みたい。

ミツが言った。
「今でもたまに、お前が手首切った夢を見て、体がビクッとして目が覚める。」
彼の中で、『手首を切った私』はずっと生き続ける。
嬉しくなった。
これからは、私が彼を守ってあげる。

彼の舐め方

2003年8月10日
ミツが仕事を終え迎えに来た。
中華屋でミツの両親とミツと4人で夕食を済ませ、銭湯に行った。
ミツの部屋に戻ったのは、まだ21時前だった。
寝不足続きだった私は、睡魔に襲われるがまま眠りにつこうとしていた。
そこへミツが、私の体を舐めるような手付きで触ってきた。
「寝ちゃうよ」
と、私は目を瞑りながら言った。
ミツは頷きながら続けた。
ミツのセックスは優しい。
膣を舐められることが嫌いだった私だが、ミツには許してしまう。
ミツの舐め方は、セックスの気持ちよさではないのか、眠気を誘う気持ちよさだった。
直接クリトリスに触れられると、私の体はビクッと反応する。
それは気持ちいいわけではなく、どちらかといえば痛い。
私の経験では、そういう舐め方をする男性が多かった。
仕事では我慢するが、プライベートでは我慢する必要もないので、付き合っていた全ての男性に断っていた。
だが、ミツと付き合って、初めて舐められたいと思うようになった。
ミツは優しく丁寧に舐めた。
挿入するときも、私が痛くないようにゆっくりしてくれた。
ミツは私を抱きながら、消えそうな小さな声で囁く。
「愛してる」
何度も。。。
私は眠かったが、イク事ができた。
ミツも同時にイッた。
そして、至福の一服をする間もなく私は寝付いた。
寝起きのセックスは気が乗らない。
ミツは、性器が朝だちした状態でセックスをしたがる。
というよりは、私が目覚める前にミツの性器が私の中に入っている。
私は、ただ『眠い』という理由だけで、気持ちよくもなければ濡れもしない。
そして痛い。
もともと寝起きの悪い私は、更に機嫌が悪くなる。

この日の朝も、違和感を感じ目覚めた。
私の膣を彼が愛撫していた。
『眠い』。。。
私の愛液はほとんど出ていない。
ミツの唾液で濡れていただけだと思われる私の膣に挿入した。
小便をしたくなったが、バック体位での挿入だったので我慢できた。
私の喘ぎ声は演技だったが、ミツはイクことができた。
とりあえずは、やり遂げた事にホッとした。

元婚約者Yから、メールがきていた。
やはりお金の請求だった。
『元婚約者』というだけあって、彼Yには同情してしまう私がいる。
でも仕方ない。
今の私には人を養う力もなければ、暖かく見守ってあげられる程の余裕もないし、彼Yを教育する常識さえないのだから。
来週中に、彼Yが自宅にいない時間帯に荷物を取りに行き、合鍵も置いてこようと思う。
そして、最後になるかもしれない手紙も。
『これからやろう!』って意志を決め頑張るのに、ミツは反対することが多い。
今まで自由奔放に生きてきた私は、ミツに言わせると『世間知らず』らしい。
今まで多くの人にも言われてきた。
自覚はほとんどない。
私はミツのことを世間でいう『常識のある人』だと信じ、相談することが多々ある。
今回は、両親との事だった。
ミツの答えでは、私が間違っているとのことだった。
私は一通りの説明を聞いた後、「そうなんだ、ありがとう。」で終わる。
私の意見に同意する人は少ないので、慣れている。
私が、少しでも人の意見を聞き入れたのなら、『世間知らず』と言われずに済む。
わかっているが、納得のいかないモノは聞き入れようがない。
…とは思うものの、大嫌いな父親の頑固な性格を受け継いでいる自分が恥ずかしい。
ただ父親とは違い、聞く耳は持っています。

今からやります。

2003年8月6日
暑い。
最近ずっとめまいが絶えない。
煙草も不味い。

もともと、私も言えた立場じゃないのはわかっていた。
携帯電話の名義人になれない私は、付き合い始めてから何ヶ月がたった頃、彼Yに携帯電話の名義人になってくれた。
そして別れる1ヶ月前から、男性の相手をするのが嫌になり水商売もウリも辞めしまった私は、酒に溺れていたせいもあり携帯電話の支払いを遅らせていた。
現在、彼Yに聞いた話では未払いは3ヶ月間とのことだった。
彼Yはただ「払って。」とメールをくれるだけだった。
それは仕方のないことだ。
いくら私が、その請求額以上の金額を彼Yに貸していたとしても、それは別として払うべきであるとは思っていた。

元婚約者Yからメールが届いていた。
やはり目的はお金の請求でしかなかった事にも、私は少し残念だと思った。
私はもう1ヶ月も前から『来月までは収入がないから、待ってください。』と話していたが、彼Yは何度も納得したのにも関わらず、この日もまた請求してきた。
「今は生活が苦しいから…ごめんね。」と、対応は優しくしたつもりだった。
だが彼Yは「仕事にならないって言ってるんだ、少しは俺の事も考えてくれ。」と返してきた。
いい加減、腹が立ったので「それなら、私が貸したお金(○十万)からその請求額をひいて、残額は今すぐに返してください。」とメールを送信したいところだったが、面倒な事になるのも嫌だったので、気持ちを落ち着かせてメールを打ち直した。
「私の事、もう『お金』としか見れなくなっちゃったんだね。私は、今までYの為に使ったお金とか貸したお金、請求した事一度もないよね。…私が『今すぐ返して』って言ったら返せるの?そこでYが『返せない』という返事を出したら、私が『私の生活の事も考えてよ』って言っているようなものだよね。私が言いたい事わかるよね?」と送った。
返事は、「もういい、借りて払う。」だった。
その後に返事は返さなかった。

夏の暑さのせいか、最近は人と関わるのがとても面倒くさく思える。
今更言っても仕方ないが、実家に出戻ったのは失敗だった。
いまどき、エアコンのない家は珍しい。
頑固で変わり者の父が、エアコンを嫌がるため実家にはエアコンを置けないていた。
家族全員、現在に至っても父には逆らえないでいる。
子は、元夫の遺伝でアトピー性皮膚炎を受け継いでいる。
新陳代謝が活発な子供は大人に比べ、大量の汗を掻く。
エアコンのないこの実家に戻ってからは、子のアトピーがひどくなった。
私は惨めに思えて仕方ない。

最近、愚痴だらけだ。
私は落ちぶれてしまった。
…ミツにもそう言われた。
髪をミツに切ってもらった。
30?以上は切った。
ミツは知らないが、私の中では儀式のようなものだった。
元婚約者Yを忘れるための儀式。
元婚約者Yの事は、既にほとんど思い出すことはなかったが、あえてケジメを付ける形を取った。
そして、ミツへの償いでもあった。
肩よりもずっと長かった髪は、一瞬にして肩に少しかかるくらいになった。
頭も心もスッキリしたようだ。
ミツも似合うと喜んだ。

私と子との間に

2003年8月2日
ミツとハンバーグ屋に行った。
私は昨日と同様、意識が朦朧としていた。
なぜか急にミツに真実を言う気になった。
「バイト、実は辞めたの。」
そこからミツのお説教は始まった。
私は、私じゃなかった。
人格たちがシンクロしてから何分たった頃だろう。
ミツも気付いたようだ。
私は、『私』を背後から眺めていただけだった。
ときどき気は遠くなっていたので、記憶は曖昧だ。
ミツのお説教が続く中、『私』の座っている椅子になにかがぶつかった。
『ガツンッ!!』。。。
私はその鈍い嫌な音で正気に戻った。
斜め下を見ると4、5歳の女の子がふざけていて別の椅子から落ちて私の椅子の脚の部分に頭をぶつけたようだ。
泣き叫ぶその女の子に両手を差し伸べたが、私の手は震えていた。
女の子は泣きながら立ち上がり、両親への元へと走って行った。
両親は女の子を抱え、私に「すみません。」と言い残し、店を後にした。

私は、まだ子が赤ちゃんの頃、ずっと一人で子の世話をしていた。
何もわからなかった。
不安ばかりが募った。
いつしか私は子の泣き声を聞くと、発作が出るようになっていた。
私は子を抱きもしないで、一緒になって泣いていた事もあった。
その頃は、愛情よりも恐怖感が先立っていた。

私が食事の用意をしていると、寝ていた筈の子の部屋から鈍い嫌な音が聞こえた。
すぐに走っていくと、子がベッドから落ちた様子で一瞬大声で泣き叫んだ。
私が抱き上げた瞬間、子は気を失った。
呼吸もしていなかった。
私は子の名前を何度も呼んだ。
唇がだんだん青くなっていった。
私は無我夢中で背中をどんどん叩き、名前を呼んだ。
すぐに子は目を覚まし、呼吸と共に泣き始めた。
と、同時に気が抜けた私も一緒に泣いた。
今思えば、泣き方はとても激しかった。

子が少し大きくなってからは、私は口にタオルを押し込んで泣き叫ぶようになっていた。
子の目の前で。

これから先も不安だ。
だけど、これからは少し違う。
ミツがいる。
これから上手くいけばいいが、私はまだ結婚する気にはなれない。
今度こそ、失敗しても最後の結婚になると思っている。
子の兄弟も欲しい。
だけど、私自身の育てていく能力に不安を感じる。
子にしても、『犯罪者になるかもしれない』『精神異常者になるかもしれない』…など考えてしまう。
子は2歳半の頃、あんな血だらけの母親を目の当たりにしている。
後悔しても遅い…。
でも、この子には私と同じ道を歩んでほしくない。
とても大切に思っている。
私は子に何度も助けられた。
動脈を切って気を失っていた時のこと。
救急車で運ばれ、集中治療室にいたようだ。
医者に名前を何度も呼ばれ一瞬だけ気を取り戻した。
私がとっさに口にしたのは「子供がいるんです、助けてください」だった。
こんな格好悪い言葉を口にしたのは初めてだった。
だけど、ただ命乞いをしているわけではなかった。
あんなに独占したかった彼の為に斬った傷だったが、子の顔が浮かんだ。
『子を独りにはさせたくない、子を失いたくない』と、切に願った。
そしてまたすぐに目を閉じた。
『死』を初めて感じた夜、子への愛情に初めて気付いた。

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